何か伝えたいけど、言葉じゃ足りなくて。

ほるんです。山田担です。にゅすさんとぶいさんも好きです、でもじゃんぷちゃんがもーっとすきです。せくぞにはまって自分でもびっくりしてる

今一度、自分のオタク的主観に向き合ってみた。

 

JUMPの誕生日以外では久々の更新です。

 

テーマは「私のオタク的主観の作り方」。

 

今回長々とこのテーマで文章を書こうと思い立った一番の理由は、最近何かとお友達やお知り合いの口からその人本人のオタク的な主観(造語:その人のオタクとしての考え方、信念、解釈の仕方等)を見聞きすることが多いということ。

それは卒論のインタビューという公式的な場でもだし(これは自分から聞きに行っているから偶然ではなく必然)、Twitter上での会話もそうだし、オタク同士で集まった時にするのもそうなんですが、人から話を聞くと、自分はどうだろうか、自分ならこの時どうする?みたいなことも胸の内で考えてみたり、言葉にして友達に伝えてみたり…逆に自分の価値観を問いかける機会になるわけです。

 

もちろんそれは自分にとって良い機会だなあとは思うんだけど、あまりにその良き機会が多すぎて自分の脳内だけでは整理しきれなくなってこんがらがってきたので(笑)、文にして整理してこうかなと思います。はじめに言っておきますが、自己満足です。あわよくば卒論を本格的に書くにあたっての準備体操になればとさえ目論んでいるので、私の脳内覗いてみたいなという方がもし仮にいらっしゃるのだとしたら読んでくれると嬉しいです。(笑)

 

(なお、大学で所属してるゼミの性質上、その人の経験をもとにしか議論を膨らませられない思考回路に近年なっており、ここから続く文章もとにかく私の体験談がほとんどを占めている。経験から主観を導き出すので、長たらしい状況説明が挟まることをご了承ください)

 

 

○きっかけ

まず私に「アイドルを見るのは楽しい」という固定概念を生み出したのは、母親。

物心つくよりも前にきっとジャニーズを覚えてるっていうくらい記憶にない頃から私にとってジャニーズは身近な存在だった。

少なくともA・RA・SHI / 嵐の歌詞は歌詞の意味を理解できるくらい知能が発達する前から丸暗記している。(笑)

でもまだこの時、私はアイドルオタクではなかった。ただアイドルが好きなちびっこ。コンサートに行ってきた母や叔母さんにうちわを買ってきてもらって、わーい嬉しい!という受動的なアイドル摂取で事足りていた子供でありました。

 

○ジャニオタになる術を知る

そのスイッチのモードが切り替わったのは、いつだろう?

考えてみたけど、きっかけはNEWSとYa-Ya-yah

正確に言うと、私にNEWSとYaというグループを教えた、いわゆるジャニオタ街道まっしぐらの青春時代を送っていた従姉妹と姉だ。

 

はい、ここでインプットモード発動( ˘ω˘ )

 

各グループ、出逢ったのは小学校低学年の時だが、ハマったのは小4〜5の時。時間はあるけど、財力と行動力はまだなく、ネット社会にも染まっていない頃。

その頃すでに7つ上の従姉妹はネットもお金も行動力も兼ね備えてて、4つ上の姉もそれには敵わないがコンサートに行くために学校の模擬試験を休むくらいの行動力は兼ね備えるようになっていた(笑)

それまでももちろんテレビではたくさん観てきたけど、この頃からだった、「お姉ちゃんくらい大きくなったらコンサートに行ける」という考えをお手本に倣って持つようになったのは。

だから私が今出来るのは、従姉妹や姉にお金を預けてグッズや写真を買ってきてもらうこと。自分1人じゃ絶対思いつきもしなかったけど、周りにお手本がいて、代わりに行動してくれる人がいて、そのお手本からコンサートの話を聞かせてもらったりグッズを買ってきてもらうことでジャニオタを疑似体験するとともに、いわゆる「ジャニオタってこういうことをすればいい」っていうある種の方法論を学んでいた。

ちなみにこの当時しててもおかしくない「CDやDVDを買う」ことはほとんどしていない、姉と従姉妹が買っていたから。これは姉がNEWSから離れ始めて「あんたたちが買ってよ」と言われるようになった2011年くらいまで揺るがなかった。(笑)

ただ、その「買う」という行為こそしていないものの、CD・DVDに収録されている曲や映像は余すことなく摂取してるから、そういった意味でもこの時期はインプットに時間を費やしていた。

 

これぞ、ジャニオタの英才教育。

 

そんなこんなで着々と姉と従姉妹の支援を受けて名実ともにNEWSとYaのジャニオタになる準備をしている最中、私は金銭面におけるサポートをもらえないアイドルにハマることとなる。

 

山田涼介、現在のマイスイートハニーです。(笑)

 

ジャニオタとしての方法論は知っている、それに加え当時のやまちゃんは現場がYaとかぶることも多くグッズを買ってきてもらう手段は手にしていた。

だけど小学生に絶対的に足りない、財力。こればかりはしょうがない、愛の大きさ云々の問題ではなかった。

財力と行動力というのはなかなかに癒着があり、財力がなければ行動力というのも自然と生まれてこない。

だからその当時収入源がお年玉しかなかった私にできたこと、それは「テレビでとにかく追うこと」。

幸い、テレビに関しては理解のある母親(元祖テレビっ子、光GENJIの時代から曜日毎のビデオテープへ丁寧に録画をししっかりと活動を見届けてきた人物)のため、ここで私は、着実にテレビにドラマに引っ張りだこになり始めた山田くんへ、テレビ番組を録画する・観るという方法を以て愛を表現していた。

そして生まれた固定概念、「山田くんへの愛はお金じゃない、お金がなくても彼のことはこんなにも愛せる」。つまりはお金をかけずに彼を愛していこうという長きに渡る大作戦が始まったのだった。

 

 

 ○いよいよ思い描いていたジャニオタを実践

 

そして迎えた、中学1年生。

とうとう私にジャニオタを実践する機会が巡ってきた。

 

初コンサート、NEWSの最初で最後の年末ドームツアー(通称:宝石魂)。

※文末に補足あり

 

ちなみに始めは行けるとも思っていなかった。

なぜなら、我がお手本である姉が初めてコンサートに行ったのは、高校1年生のとき。

まだ中学に上がって1年も経ってない私には到底「コンサートに行く」ということは他人事であった。

でもここで従姉妹の出番、「お母さんにはチケット当たってから事後報告すればいいんだよ」という後押し。そしてまだわりとチケットの取りやすかったNEWSはまんまと当たった、そしておそるおそる事後報告してみたらあっさりと承諾もおりて、なんならたしか交通費もくれた(すでに東方神起のコンサートに何公演も行くようになっていた母は、テレビだけでなくコンサートにも寛容になっていた)。

今思えば、このとき従姉妹が後押ししてくれ、この歳にコンサートデビューができたのは本当によかった。

もしお手本の姉に倣って高校1年までコンサートに行っていなかったから、私がこの目で直接6人のNEWSを見る機会は金輪際なくなっていた。なんだかんだ1番好きなのは6人のNEWSで(もう開き直ることにした)、そのカタチのNEWSを見ずにあのドン底時期を迎えていたら、私はきっと今でも立ち直れていない。

 

まあそのことはひとまず置いといて、ここでのポイントは、私はNEWSへのアクセスがどのグループよりもよかったということ。

まずチケットを取るために最重要のFC枠、姉と従姉妹のおかげで十分に確保されていた。同時にそれは中学1年生、東京にはほとんど行ったこともない双子を連れて十分に保護者ができるお姉さんが周りにふたりもいたということ。なんなら予習用の過去のDVDだって各種揃っていた、こんな至れり尽くせりないでしょう( ˘ω˘ )

 

それと比べ、このとき同時進行で好きだった山田くんへのアクセスは、とにかく直結の便が出ていなかった。(?)

山田くんのことでお金をかけられる財力もなければ一緒に楽しめる相手もいなかった私は、当然Hey!Say!JUMPのFCは入ってなかったので(この当時もうFC出来てたよね?っていうレベルでこの頃のFC事情には詳しくない)、コンサートへ行くためのチケットをまず手に入れられなかった。

どちらかというHey!Say!JUMPに対して我が家は風当たりが強かったので(この辺に関する説明は何度もしてるから割愛)、特に1人で行くほどでもないなあと思っていた。今考えるとすごくもったいない。

 

ただ、幸いにも好きになったのは山田涼介

 

直結便はなくても、間接的に出会える機会がいくらでもあったんです。そう、テレビ。

ほぼ毎年、演技のお仕事をしていて、デビューから約10年、毎週日曜お昼のバラエティレギュラーで居続けていてくれている彼は、それだけで私を幸せにしてくれた。

コンサートには行けないけど、彼の最も尊敬する部分である演技を見られて、毎週安定してバラエティの中でも観られて、そんな茶の間に優しい活動をしていてくれていたから、貪欲で欲張りな私でも腐らず山田くんを応援し続けられてたんだと思う。

そういうお仕事の仕方ができるのってジャニーズの中でも限られた人しかいないから、その1人になってくれている彼には今でも感謝の気持ちでいっぱいです。

 

ただ、この時身についてしまったとばかり思っていた彼への愛の表現は、私のジャニオタ歴とともに少しずつ変化してきていたのです。

 

補足:

このとき私は、「低燃費にオタクができる」ある意味良い価値観も植えつけてもらった。

初コンサートの席は、東京ドームの天井席(メイン寄り)。

遠くても色んな楽しみ方がある、そう教えてくれるとともに、ドームの天井席でもメイン近ければそこそこ肉眼でも見られるときは見られるという安心感をあの席は教えてくれた。(笑)

この経験により、現在も私はコンサートのときどの席になったとしても楽しめる準備が常に出来ている。
ある意味チケット運はよかったということにしている。←

 

○一緒に応援する仲間に出会う

 

さて、ここからがまた一味違うジャニオタへの道。

ジャニオタ個人としての振る舞い方(「うちわは胸の高さまで」等の初歩的な所作を含む)の英才教育を受けてきた私たち双子、ついに大海へと出ます。

 

まずは、リア友兼オタ友のふたりと出会います。

いえ、本当は片方は小学校1年の時からクラスが一緒だったくらいなんだけど、お互いオタクと認識して話すようになったのは中学2年の頃かな?そのへんから私は自他ともに認めるジャニオタへとさらなるステップを無意識に踏んでいた気がする。

というのも私、なんの理由もなかったんだけど、小学校高学年になるくらいまであんまり学校でジャニーズ好きなことを言ってなかった。

恥ずかしいとかそういうことはなかったし言ってもよかったんだけど、如何せん言ったところであんまり盛り上がらなそうだなあと思ってたし、単純にわかってもらえないだろうなあと思ってた。

だから幼稚園の頃うちに遊びに来た友達には部屋に飾ってあるうちわを見てジャニーズ好きなことバレてたけど(笑)、小学校では特に私=ジャニーズみたいなのも全然なかったかな?あ、でもCDの貸し借りはよくしてたな…あれ何年生の時だろう(笑)そのへん記憶が曖昧、ごめん(笑)

何はともあれ、私にとってジャニーズ好きなのは当たり前だし、もはや空気みたいな存在、生活の一部だったけど、周りの子はそんな話をおおっぴらにはしてなかったし、我が家がみんなジャニーズ好きだから世の中の人ってみんなジャニーズ好きなんだと思ってたけどひょっとしてジャニーズ好きなのってマイノリティだったりする?と私は学年をあがるごとに薄々感づき始めてきた。

だけど小学校高学年くらいにもなると、自然と周りの子達もジャニーズに関心を持ち始めるわけです。

嵐のブームが起こったり、一番仲よかった友達がすすめたわけでもなくたまたま山田くん好きになったり、まああと幼馴染を中島裕翔担に染め上げたり?(笑)

そうなると、私もジャニーズ好きなんだよねって自ら言うようになった。まさに、水を得た魚。

そして友達とジャニーズの話するって楽しいことなんだなってことを、この頃初めて知った。

話戻り、それから数年経って中学にあがり、すっかり部活でもジャニオタだということが知れ渡っていた中、中学2年次に現在のリア友兼オタ友の彼女が我が部活に途中入部してきます。

 

ここからが私のオタク人生薔薇色です。(笑)

 

たまたまうちの部活、NEWS好きな子多くてNEWSの話できる子も他にいたんだけど、如何せんオタクの仕方が違うというか、正直オタクさが生ぬるいと思っていた(リア友たちにはこの文章で指してる子が誰だか特定されてしまうかもだけどその場合はそっと心にしまっておいてほしい笑)

それが、この中2から仲良くなったこの人、まあジャニオタ歴長いし濃いし、何より思考回路似てる。NEWSの愛し方似てる。

そしてNEWS以外にも色々好きみたい、そういうところもなんか似てる、とあっさり意気投合するわけです。

 

そしてなんの拍子でだか忘れちゃったんだけど、もう1人のリア友兼オタ友もその子伝いで仲良くなる。

クラス1年の頃から何回か一緒だったのに、なんなら4年生くらいの時に総合の時間で一年中同じ班だったのに、本当に仲良くなったのジャニオタとして。(笑)しかも義務教育の中学卒業する間際まで来てたと思う(笑)

 

そんなこんなで一緒にジャニーズ応援する友達ができたことで、思ってもみなかった山田涼介への直結便もたまたま手に入れることになる。

そう、この子たち、Hey!Say!JUMPによく行くふたりだったのだ。(かたっぽ山田担だし当然なんだけどね、周りにHey!Say!JUMPのコンサート行く子ほとんどいなかったからやっと出会った感じだった)

 

そして、この頃はちょうどJUMPも伸び悩んでた時期で、2人はチケットを余らせていた、そして私らにお願いだから行ってくれくらいの感じでチケットを譲ってくれた。

その当時まだJUMPには少なからず偏見があったから、あんまり期待もしてなかったけどSUMMERY見たことないしちょっと見てみたいかも〜くらいの気持ちで行った。

 

が、これがきっかけで私はビトラ先輩を知ることになる。

 

なんだこの曲!!!!かっこいい!!!!ってなる。

 

自分だけじゃ到底行く気もなかったその地で、私は子供っぽいとばかり思っていたJUMPの新たな一面を知ってしまった。

 

そして一度SUMMERYに行ってしまえば、次はJUMP単独のコンサートも行ってみたくなる。

その前に当時はじめましてだったビトラ先輩の音源もほしいし、他にもJUMP見てみたいしとたしかこの辺りから色々とその山田担のリア友ちゃんにCDやらDVDやらをたくさん借りるようになった。(遅れてきたインプットモード)

ふたりも最初乗り気じゃなかった双子がなんだかんだ楽しんでいたことに味をしめたのか、次もまた誘ってくれるようになった。

その1発目が、山田生誕日の横アリ公演、しかもアリトロ間近く。

JUMPだけの公演も初めてだし、なんならアリーナ席さえ初めてだった。

目まぐるしすぎてほとんど覚えてないくらいには、コンサートというものに改めて魅了された。

その次の矢印とジャニワは受験とか金銭面とかの関係で行かなかったが、その後からはまたふたりと申し込むようになり、そして今に至る。(省略しすぎ)

 

ただ一つ言えることは、これまで築いてきた私のごく限られた小さな世界を大きく成長させたのはこのふたりだった。

 

特に行動面において。

 

それまで正直家族間でNEWSテゴマスごとは事足りてたし、普通に1公演行ければいいかなと思ってた。DVD出たらまた従姉妹に見せてもらって盛り上がればいいし、そもそもそれまで行けてなかったくらいだからDVDでも十分楽しいし。

ちなみにこの感覚は未だにNEWSからは抜けてなくて、NEWSって私一公演入れればそれだけで幸せなことだった。だから次回からNEWSはDVDで楽しむと踏ん切りをつけたのは無理やりとかではなくて自然な気持ちだったりする。

それが、ふたりと出会ったことによって、JUMPは複数公演が当たり前だと知る、グッズは担当以外もばんばん買うことを知る、遠征するっていう考えを教えてくれたのもふたりだと思う。
そして何よりSNSでの友達の繋がり方を教えてくれた(高校卒業してスマホを手に入れる際、だったらヲタ垢を作ったらいいとアドバイスをくれたのはこの人たちだ)。

もちろん従姉妹もKAT-TUNのドーム公演連続7日間全部行ったり遠征ばんばんしたりしてたからジャニーズにそういう文化があることは知ってた。だけどその知識を実際の行動に結びつけてくれたのは彼女たちだ。

きっとふたりの仲間内に入っていなければ、私はJUMPもNEWSも1公演ずつ行ければいいかなと思ってたし、まさに井の中の蛙大海を知らずのジャニオタ人生だったかもしれないなって思う。

 

ということで、ここでのポイントは、ジャニオタって、友達と一緒にするとどんどんステップアップしていく。

 

私の場合は、家族っていうジャニオタになるための基盤を作ってくれる人がいたうえで、友達っていうその上に一緒に城を建ててくれる存在がいたって感じ。

 

先駆者的存在か開拓者的存在がそばにいると、たぶん自分が思ってもみなかったスピードでジャニオタの階段を駆け上っていくこととなる、それがまた楽しいしし、ありがたい。

 

あと単純に言えることは、家族の中に一緒に応援できる人がいるとそれだけで満足できることもあるけど、やっぱり友達が出来るとまた何百倍も楽しい。

 

○担降りを知る

 最近まで、私にとって担降りというのは縁遠いものだった。

というのも、ジャニオタのお手本である姉は絶対的自担の翔央くんがジャニーズを辞めてしまったと同時にジャニオタを卒業してしまった。(まっすーも好きだったけど、彼は担当ではないと姉はずっと言っていた)

もうひとりのお手本である従姉妹も同様で、絶対的自担である赤西仁がジャニーズを辞めた時点でジャニオタではなくなってしまった。(姉と同様に小山くんを愛してやまない人だからNEWSのコンサートには一緒に行くけど、現在の本業はバンギャとアニオタ)

自分の担当がジャニーズを辞めた場合、自然とジャニオタを卒業するというお手本を見てきた私は、手越祐也がジャニーズを辞めない限り手越祐也の担当を続けるんだとばかり思っていた。

SNSで周りの人が担降りをしていく姿を見てもどこか他人事で、だけどその担降りを物凄く身近に感じる出来事が、とうとう起こる。

 

リア友兼オタ友の彼女が、担降りをした。

 

しかも同じNEWS担をしていた方の彼女である。

確かに美勇人にはまっていることは知っていたしそっちに熱量が傾いていること私から見ても明らかだった。だけど、まさかNEWSから担降りするとは思っていなかった。なんなら引き止めたかったくらいだった。

だけどそれが結果、私が担降りという文化を目の当たりにする初めての瞬間になった。

 

誤解がないように言わせてもらうが、決してそれが私の担降りの直接的な原因というわけではない。

自然と、私の中で彼らの順位が入れ替わってしまっただけ。ただそれだけだけど、物凄く悩んだし罪悪感も感じたし、覚悟も必要だった。

それくらい私にとって「自担」という存在は絶対的で、何よりも最優先で、何よりも愛したい人。8年間変わらなかった1番が変わるんだから、そりゃ自分だって戸惑う。

正直に言うと、たぶんずっと前から1番好きな人は今の自担だった。だけど、応援したい人は今の元担で、絶対的だった。嫌いな部分がたくさんあるのに、それでも好きで許せて、ライブで歌っている彼は私の中で絶対的な存在で、この人の全てを知っていたかったし、実際全てを知ってるつもりでいた。

ただな…歯車が狂い始めたのはファンとしては悔しいけど、彼の夢が叶い始めた頃だった。ずっと口に出して欲していた念願のサッカー番組を手にした彼、かっこよかったけど、私には追いつける自信がなくなった。

今思うと彼にはとても失礼なことだったけど、それが事実。自担と同じ方向を向けないって、こんなにも辛いんだな。

同じ方向を向けなかった点は、思い返せば他にもあった。

私が愛した6人のNEWSへのスタンス、そして、ファンの愛し方を私は結局受け入れられなかった。

彼の前の向き方、ファンの愛し方はアイドルとしてきっとお手本のようなのだと思う。だけど私には合わなかった。

何より合ってほしかったところが合わないって、途端に足並みをばらつかせる。

勝手に自分がついていけなくなっただけなんだけどね、足並みが揃う人がこれからもファンを続けていくべきだと私は思うようになった。

 ばらついてることに気づきさえしなかった数年間、それは担降りという選択も眼中になくて、必死に彼をまた好きになろうとしていた期間でもあった。むしろ好きでいなきゃいけないという義務感だったかもしれない。とっくに活動を追うことは義務感からしていたし。

 

義務感で追うって、たぶん一番危険なことだ。

一番その人のことを好きでなくなってしまう追い方。

 

だからこそ、彼からは少し距離を置こうと思った。てごちゃんを嫌いにならない方法、それが担降りして義務感から解放されることだった。

 

そして今の自担が自担になってから2年が経った今、改めて思うことは、私はこの人を追いかけていたいんだってこと。

 この人に愛されるファンの一員でありたいということ。

単純に彼のことが好きで、尚且つ彼のする仕事・活動が好きで、尊敬できるところがあって、この人が1番なんですって色んな人に言って回りたくなるくらい誰に見せても恥ずかしくない人。そのくらい愛しきれる人。

それが数年前まで間違いなくてごちゃんだったけど、今は頑としてやまちゃんだということ。

失礼ながら勝手ながら感じていた自担と自分間での違和感が、一気に解消された今は正直物凄く幸せです。

舞台挨拶という新たな競争のジャンルが出来てしまったことはわりとけっこう大きな悩みだが、それよりもっとずっと彼にはたくさんの幸せをもらってる。愛すべき人を愛しているとこんなにも、人って幸せなんだ。

 

 この前友達(オムハヤシ)と話してる時に「山田担や手越担じゃなかったらふたりがコンサート中に眼中に入らない理由はわかる、私も自担じゃなかったらそうだから」と話したんだけど、それは確かにそうなんだけど、少し言葉が足りてなかったなって思ったのは、決して彼らのことを義務感で追っていたというわけではないということ。

まあちょっとは自担だから追うっていう責任は感じてるよ、でも他の人たちが物凄く魅力的で見てないのがもったいないとわかっておきながらやっぱり私は最終的には自然と自担を目で追ってしまう。

ただ、やまの場合はダンスや歌がそのグループで特別好きというわけではないから、他の人たちも見させてくれよなとは思ってる、だって山田くんと同じで有岡くんとか知念くんのダンスだってHey!Say!JUMPのコンサート行かないと見られないわけだし(開き直り)

まあひとつ言えることは、自担のいないコンサートは視点が定まらないだけにどれだけ贅沢でお得かってことはこの前のNEWSのコンサートで知った。てごちゃんを目で追わないNEWSのコンサートは正直初めてだったが、いやあほんとNEWSってみんなかっこいいわ←

 

グループ内DDが顔を出し始めてしまった故ここまでにしておくが、自担だけを追うことももちろんファンとして立派なことだけど、それだけがコンサートの楽しみ方ではないんだよってことをここでは言いたいし、どんなに自担を愛していても自担だけを追えない目移りしてしまう人がいることをあんまり悪く思わないでほしいなっていうのが本音。自担だけを追う人も、自担以外にも目を向ける人も、所詮同じ「自分の欲望のままにコンサートを楽しんでいる人」には変わらない。

 

○ジャニオタに慣れてしまった自分

 そんなハッピー野郎でも、愛しているからこその悩みがある。

一度踏み込んでしまったからには、もう自分がこの趣味でしかこの幸せを得られないと学んでしまったこと。

 

今思うに、私がもう後戻りできなくなったのは、コンサートに行くようになってからだ。

実際、中学1年の冬にNEWSのコンサートに行って以来、私はコンサートに行かない年がない。なんだかんだNEWSかテゴマスがコンサートをしていて、高校受験の年も大学受験の年もなんだかんだ夏まではコンサートに行っていいルールを自分の中で作っていた。

親がそういうのに厳しくて「コンサートなんて行ってないで勉強しなさい!」みたいな人なら行かなかったかもしれないけど、なんなら高校受験の年に行った「続テゴマスのあい」、隣の席に入ったのは母親だった。なんならグッズ列にも一緒に並んで買ってくれた。受験生夏の終わりのコンサートに一緒に行ってくれる母親、なんて協力的なんだ。

 

コンサートに行くようになった自分は、逆を言うとコンサートに行かない自分を受け入れられないようになってきた。

NEWSが10周年の年、私は受験生で、その夏のツアーは行ったけど、秋にやった記念のドーム公演は行けなかった。自分の名義当たったのに。それは友達に託して。

譲った時はそんなに後悔してなかった。コンサートより受験が大切だし、そう思い聞かせてたから。

でもいざ公演が終わって、みんなが幸せそうにしているのを見たら、なんで私はその場にいなかったんだろうってすごい思うようになった。

今まで応援してきて、一番苦しかっただろう2回目の半ば活動休止状態のあの時期も一緒に乗り越えてやっと辿り着いたドーム公演に、なんで私は行けなかったんだろうって、すごく悔しかった。

なんなら6人最後のコンサートも私は高校受験で行けてない。それはしょうがないと心の中で消化できていたのに、チャンカパーナ発売イベントを経験して、美恋魂初日を経験して、山田くん生誕祭を経験してしまった私は、記念の公演に行けないこの悔しさがわかるようになってしまった。

 

そしてデジャブは訪れる。

今年のJUMP10周年のツアーだ。

私はNEWSの10周年が受験にかぶった時、自然とJUMPの10周年も自分の人生史のどこに当たるか計算していた。

 

導き出された答えは、大学4年生。

嘘やん、就活時期。

 

私はこのとき、自分が1995年に生まれてしまったことを深く後悔した。(本当は親に対してとても失礼なこと、よいこは真似しないでね)

高校受験はNEWS6人最後のライブで、大学受験はNEWS10周年、就活時期はJUMP10周年?そんな人生の3大忙しい時期に彼らの大事な年丸かぶりすることってある??

てなわけで、私はこの時JUMPの10周年をしっかりお祝いすることも半ば諦めた。(お祝いの時期は秋頃だから就活もすんなり終われば十分参加できるんだけど、もともといろんな物事人並みの早さで終わらせられる人間じゃないから、就活は秋までやってるつもり満々だった。)

 

そんな不安を頭の片隅に置いたまま過ごした大学生活。

番協とかも行くようになって色々楽しい思いをさせてもらい、さらに担降りも経験したことで芽生えてきた、やっぱりJUMPの10周年はしっかりお祝いしたい。

その頃からだった、「私、JUMPの10周年お祝いするためにせめて夏までには就活終わらせなきゃいけないの」と大学の友達に言い始めたのは。(これだけ聞くとほんと就活なめてる学生にしか聞こえない)

運良くご縁にも恵まれて、実際に初夏頃落ち着く先と結ばれることになり(なんなら行かないと思ってたNEWSのコンサートの前に片付いてしまったという本気のスピード)、JUMPをお祝いする準備は整ったとばかり思っていた。

 

だがしかし、肝心のチケットが当たらない。

 

絶望した、賭けた名義の全てが当たらなかった。

だけど周りはけっこう当たってる、嘘やん、私JUMPのお祝いできない??

 

せっかく就活終わらせて4年前抱いた不安は払拭できたっていうのに、肝心のチケットが手元にない?嘘でしょ?ってあまりの現実に受け入れる気力も失った。

 

そのうえ、就活時期にバイトを一切しなかったこともあり、お金もない。積むお金もないということは、つまりはコンサートに行くことは絶望的にできない。(第一私には誰か知らない人からチケットを買って入るという概念がない。それくらい自分の名義や友達の縁に恵まれていたことに私はこの時改めて気づかされる)

 

だから復活当選のメールが自分のメールボックスに届いていることを目にした時、リアルに号泣した。(忘れもしない、テレ東音楽祭で次はHey!Say!JUMPですと紹介された頃だった)

 

何公演も入れるのが当たり前になってきていたJUMPの現場で一度も入れないかもしれないという状況に晒された私は、自分がジャニオタに慣れてしまっていることに気がついた。

コンサート何回も行くのが当たり前、行けるのが当たり前、そうなっていた自分が、「コンサートに行けない自分」を尚更苦しめてたんだなって思った。

 

正直、この感覚はもはや一生治るものではないと思う。

現に一枚のチケットを手にする権利を得た私は今、ものすごくほっとしている。今横アリ公演に行けるという保証がされてなかったら、この文章もきっと書かずにずっと胸の内に秘めていたと思う、どれだけ苦しかったかわからない。

 

一度コンサートの楽しさを知ってしまったジャニオタは、後には戻れない。

もっと何回も行きたいという感情が芽生えてしまうし、そうなるとそれこそ一度も行けないなんてありえないくらいの感覚に陥ってしまう。

それが普通だ、その人が悪いんじゃないし、この感情ばかりはどうにもできないことなのである。なんだかんだコンサートのチケット以外にその人の気持ちを100%晴れさせることのできるものはない。

 だけど90%くらいはどうにかなるんじゃないかって、自分に言い聞かせてる。

そうやって今回残念ながら行けない友達の空しさを少しでも埋められる存在になりたいと思うと同時に、もしかしたらこの先思うようにはコンサートに行けなくなる職につく自分へちょっとずつ励ましの言葉をかけてる。

 

だけどそんな主観から少しだけ距離を置いてみると、それこそこの感覚って義務感から生まれてくるものだなって思う。

コンサートという空間が彼らの本業である(とあるアイドルがそう言っていた)からこそ、その舞台を生で見ることはオタクの義務になってしまう。

自担の映画の舞台挨拶に行けないのが悔しいのも同じことだ。

もちろん観たいという気持ちが1番だ、それは揺るがないけど、少なからずそこには「自担の勇姿を私は拝むことができなかった」という劣等感もついて回っているはずだ。

正直それは自己満でしかないし自意識過剰でしかないけど、だけどオタクってそういうもの。こればかりはコントロールできないし、出来たら今頃オタクはやってないんだと思う。

 

嫉妬、執着のないオタクなんていない。

それをいちいち有罪にしてたらみんな有罪になっちゃうなってくらい、ごく自然な感情で、深く考えてしまったら終わりってくらい底が見えない感情なんだなって思う。

だからって見過ごせる感情ではないんだけど。

少しはそういう執着に囚われる自分を、許してあげたいなって思うようになった。

 

○【番外編】はまった時期と応援の仕方

 ただ、少し例外的というか、すべてのオタクがコンサートに雑誌にテレビに何もかもに執着しているわけではないのと同じように、私個人の中でもこのグループのコンサートは何回も行きたい、このグループは1回行きたい、みたいな応援の仕方のスタンスに違いがある。

それは愛の大きさのみで決まってしまっているのかなと自分の中で勝手に申し訳なさを抱いていたけど、要因はそれだけじゃないよなって最近気づいた。

そのグループにはまった時期だ。

 

初めてこのグループが好きだと思ったのは、V6だった。

お母さんが好きで、 私も気づいたら岡田さんを好きになっていた。

だけどお母さんは当時私たちが小さかったということもあり、毎回コンサートに行くというわけではなく、1度叔母さんに誘われて行ったのみだった。

それから何年かが経ち、小学校高学年くらいになるとジャニオタを覚えた私は自分で録画予約をして観るようになったけど、V6へのスタンスはそれでも変わらなかった。

変わったのは、その頃よりさらに彼らへの愛が増したこと、コンサートに行ってみたいと思うようになり1度きり念願叶ったこと、V6を通して友達ができたこと。だけどそれでもこの20年近くほとんどスタンスが変わっていないのは、小さい頃から身近にありすぎる、且つそのV6を教えてくれた母自身は自分でV6を追いかけなくなったからなのかなと思っている。

 

次に、NEWS。

彼らは私がジャニオタとして初めて追い始めたグループだ。

だからか今でも、お手本のように純粋な楽しみ方をしているなあと思う。(笑)

コンサートは1回入れればそれでいい、席はどこになったって彼らは楽しませてくれる、歌は歌割まで完璧だしなんなら声真似出来そうなくらい歌い方のクセまでわかってる。某動画サイトもいっぱい観漁ったなあ、今は気持ちが落ち着いてきてるけどやっぱり愛着はあるし、NEWSなしじゃ私生きていけないや。

コンサートに行けなくなったって、CD買ったりテレビ観たり、そういう楽しみ方で彼らは十分私を満たしてくれるんだろうなって、まだコンサートに行ける時期じゃない時から好きだからこそ確信を持って言える。だってほんとの最初はそういう楽しみ方だったから。

だから今はすごく、原点に戻ってきている感覚。

 

そして、JUMP。

彼らに本格的にはまったのは、私がジャニオタとしての欲を知ってしまってからのこと。

そして、前の項目でも言ったけど、ジャニオタは一度ステップアップしてしまうと、なかなか後戻りはしづらい生き物。

幸か不幸か、私は彼らがここまでチケットの取りづらいグループになる手前で複数公演行くことに楽しさを感じるオタクになってしまった。

複数公演行きたいし、席も気にしないつもりだけどやっぱり近いに越したことはない、舞台挨拶とか番協も行きたい、テレビももちろん追うしCDも全部買い始めたからには過去のやつも集まるだけ集めなくては。

もちろんコンサートに行ける年頃じゃない時期から山田くんのことは好きだった。だけど、グループに愛着を持って接するようになった頃には、もっと公演数入りたいよね、次は遠征しようと話し合える友達と出会ってからだ。

今までずっとテレビで満足出来ていた山田くんさえ、早く会いたいもっと会いたいと思うようになったのは、もちろん愛が増したこともそうだが、ジャニオタとしての経験値も増して、その2つに相乗効果があったからなのだと思う。

 

つまり応援のスタンスを構成するのは、愛の大きさとはまった時期。

そしてそのはまった時期というのは、一緒に応援する人と行動力に影響することでその人の経験値を少なからず左右し、限界値も設定してしまう。

簡単に言ってしまえば、低燃費に好きでいられるか高燃費なのにもかかわらず欲はあくないものとなってしまうか。

 

 前者も単純に楽しいし、後者も苦しいけどやっぱり楽しいと思えてしまうのが私だし、やっぱりオタクなんだなぁと実感する。(笑)

 究極なことを言うと、オタ卒できる人の割り切り方は単純に凄いと思うし、そのメカニズムに興味はある。ただ私はきっと実践しないんだろうなとは思うけど。

そのくらい私にはジャニオタであることが当たり前だし、これを失ってしまったら何が残るのくらいには思ってる。

 

はあ、オタクってほんと楽しいなあ。

 

 

 

予想はしてたけど、本当に長々と書いてしまった。(笑)

まあひとつ言えることは、これはあくまで自分の経験を第一の参考資料として扱っているから全部が全部正しいというわけではないということ。

卒論ではもう少し正確性と多様性をもって書かないとなあと思う次第である。(笑)

 

この長ったらしい文章を見事読み終えた方がもしいらっしゃったら、ありがとうございました。

私情はさみまくりの文章はここまでにして、とにかく卒論がんばります。